ゴー!江戸、東京

色々、妄想しながら東京を散策

いざ中之郷竹町へ その1

吾妻橋は昔は大川橋と呼ばれていた。

そのあたりについては私が大好きなTV番組である東京MXの「ぐるり東京 江戸散歩」

https://s.mxtv.jp/bangumi/program.html?date=20231028&ch=1&hm=1130)に出演されている堀口茉純さんの「やっぱり江戸が好き」https://japanknowledge.com/articles/edolove/011.html)のサイトに詳しい。


そこにも引用されている江戸名所図会[7巻19冊3大川橋]を以下に示す。

この絵の右端が目的の中之郷竹町。

大川橋を渡っている気分で筑波山の代わりに東京スカイツリーと金色のオブジェを眺めながら吾妻橋を渡ろう。

そして私にとって未開の地、中之郷竹町へ。

まずは浅草寺

10月11日、久々に浅草へ。

中之郷竹町へ向かう前に、 

この日の朝、大学以来の友人の奥さんが亡くなった連絡をもらっていたので、まず浅草寺へ向かい手を合わせる。


仲見世通りは平日にも関わらず外国人観光客て溢れている。歩きづらいので脇道から。


本堂前に到着すると日本人観光客が扁額を見上げて「浅の右側って犬なんだ」と感心してる。

そんなはずないと思い扁額をカメラにおさめ、

一応確認。

やはり「犬」の重なりではない。読みが「セン」という漢字。余計なことに時間を取られる。

本堂で手を合わせ、そそくさと脇道を雷門に向う。途中で仲見世通りに戻ってみると懐かしい人形焼が視界に入り込んで来たので妻への土産として買い求める。

別に珍しくもない風景であるがカメラに収める。

何故かというとオンボロ道場の隣家に住む父娘が自家製いなり寿司を売るのが、この門前の広場。

因みに本の表紙の絵の豊之助の後ろにいるのが娘、お美代。

その他、何かと小説に登場する場所なのだ。


ここから吾妻橋へ向かうが、今度は懐かしい店の前に立ち、しばし感慨に耽る。

神谷バーのデンキブラン懐かしい。

スタート早々、寄り道ばかり。

中之郷竹町〜事前調査

まずは読書中に度々眺めていた江戸切絵図で確認。愛用しているのは「大江戸めぐり」というアプリ。

https://www.edomap.jp/?utm_source=edomap&utm_medium=app

それによると中之郷竹町は以下の通り。


主人公である豊之助が、この地を初めて訪れた様子を少し抜書してみる。

「橋袂の前にあるのは肥後熊本新田藩細川家の下屋敷である。この屋敷の左手にあるのが出羽秋田藩佐竹家の下屋敷で中条中之郷竹町は細川家に向かって右手にあった〜商家は小さな荒物屋と青物屋、乾物屋、それに油屋と髪結床があるくらいだ。おおむねしもた屋で、その裏手には、貧しげな長屋がならんでいる。川に面した道では7人の花たれ小僧が棒亀を持って歓声をあげながら遊んでいた。歩いているものは浅草寺界隈とは比べ物にならないくらい少ない」

アプリの江戸切絵図と本文とは少しことなる。

この辺りを現代の東京で見ると以下の通り。

アサヒ本社の南方向に江戸時代に呼ばれていた

中之郷竹町がある。

なおサイトを検索していると

「写真の中の明治・大正」https://www.ndl.go.jp/scenery_top/というサイトで明治時代の吾妻橋の写真を見つけた。